大都会の未成道、ご存じ?
東京を代表する商業地、銀座。そんな煌びやかな街から徒歩10分ほどの中央区新富にはミステリアスな未成道が存在する。今回取り上げたい未成道は、都心部のものとしてはかなり大規模な部類であり、非常に目を惹く。首都高速都心環状線の新富町出口付近にも当該未成道の一部が広がっているため、新富町で首都高を降りた際にはきっとこの未成道が視界に入るはずだ。
本記事では都市計画関連の公文書や中央区政を記録した『中央区政年鑑』などの文書資料、加えて東京都都市整備局、中央区都市整備部、東京都建設局第一建設事務所の関係者の方々、そして現地の住人の方々の証言に基づき、分かり易く且つ詳細に、そしてディープに、都会に眠る未成道について解説し、現在に至るまでの過程やその背景、そしてその今後について分析、考察を施す。記事は全部で3つに分かれており、この記事は【その1:概要・現状紹介編】である。記事は【その2:未成道・もう一つのトンネルの正体編】【その3:計画頓挫とその後の土地利用編】へと続く。
この未成道はこれまでに様々なメディアやYouTuberによって取り上げられてきたが、筆者の確認した限りにおいてはそれらのコンテンツの多くはソースを明確に示していないものが多く、コンテンツの内容自体についても、当該未成道が「首都高晴海線の未成道である」という誤った(部分的には正解なのだが)解説・考察しているものが散見される。そのような背景を踏まえ、本投稿の執筆に当たってはこれまで以上に情報の正確性・妥当性を意識しながら約1年の時間をかけて調査、分析、執筆した。なお本投稿には他のコンテンツやその作成者を批判・非難する意図は全くない。
そもそも未成道とは?
ここまで散々「未成道」という言葉を使ってきたが、そもそも「未成道」とは何なのだろうか?どの辞典をめぐっても「未成道」という言葉は定義されていない。似た言葉に「未成線」というものがある。小学館の『デジタル大辞泉』によれば「未成線」とは「完成していない鉄道の路線」のことである。「未成線」が未完成の鉄道路線を指す言葉なのであれば、「未成道」はその道路版であると理解できる。「未成線」については、鉄道ジャーナリストがその定義や分類について検討しており、その中には「未成道」にも当てはめることができそうな定義や分類手法がいくつか見られるが、ここでは「未成道」を「計画決定されたが着工に移されなかった道路、ないしは着工したものの工事が中断し放置された道路」と定義したい。なお、本投稿で取り上げる新富町の未成道は実際に目で確認することのできる「作りかけ」の道路であるため、後者の定義に当てはまると言えるだろう。
未成道の現状紹介①:所在地と土地の性格
まずはこの未成道の概要を示したい。未成道の所在は中央区築地1〜3丁目・6〜7丁目、および同区明石町付近。下記の航空写真において黄色で色付けした部分がその未成道である。中央区役所前の三吉橋下部から入船橋下部に至るまでの250mほどの区間では未成道は剥き出しになっており、地上部分からその構造を確認することができる。入船橋以南では道路には蓋がされており、未成道の上には築地川公園が広がっている。


未成道を航空写真で確認してみると、道路の形状が独特であることが確認できる。入船橋東側に位置する築地川公園の多目的広場付近では道路は急カーブを描いている。また、前述したようにこの未成道は地上よりも一段低い部分に建設されており、未成道の上には「三吉橋」や「入船橋」といった「橋」がかかっている。そして何より未成道の上側に広がる築地「川」公園。そう、何を隠そうこの未成道は「築地川」を埋め立てて干拓し、その川底に建設された道路なのだ。

1936年に陸軍によって撮影された航空写真を確認すると、現在未成道となっている土地には川が流れていたことが確認できる。未成道が建設されたのは正確には「築地川」と「築地川南支川」の跡地なのだが、詳細な川の埋立・干拓の歴史については【その3:】にて紹介する。1936年の航空写真を確認すると、三吉橋の下には三つの川が流れていたことがわかる。三又の橋だから三吉橋なのだろう。三吉橋から入船橋方面に伸びる川は埋め立てられ、その川底が未成道となったわけだが、残りの二つの川はどうなったのであろうか?この二つの川も同様に埋め立てられたのだが、こちらは未成道とはなっていない。埋め立てられ干拓された川底には現在に至るまで首都高速道路の都心環状線(C1)が走っている。下記に掲載した1963年撮影の航空写真を確認すると、三吉橋の下を南北に流れていた川が埋立・干拓され、川底部分に道路が建設されていることがわかる。1936年撮影の航空写真と見比べると、建設された道路は川に沿うようにしてカーブしており、銀座のS字カーブが川の形に由来するものであることが確認できる。

この干拓した川底部分を走る区間は都心環状線の中でも「築地川区間」と呼ばれており、道路は川の形状に沿っているためカーブが連続したり、車線と車線の間に橋脚が突如として出現することでも知られている。この築地川区間については首都高の都心環状線更新事業の一環として道路部分に蓋がなされる計画(築地川アメニティ整備構想)が策定されている。


未成道の現状紹介②:現在の未成道の様子 (三吉橋ー入船橋)
ここからは未成道の現在の様子を紹介したい。前節で示したように、この未成道は川を埋立・干拓し、その川底に建設された道路であるため地上部分よりも一段低い場所を道路は建設されている。ここでは未成道全体を五区間に分割して現状を紹介する。まずは三吉橋ー入船橋の区間。位置的には下記の地図に水色で示した部分である。

この三吉橋ー入船橋の区間における未成道は川底に造られた道路の上に蓋がされていないため、地上から未成道の様子を直接確認することができる。この区間は現在、一部分が都心環状線の新富町出口として活用されており、都心環状線を新富町出口で降りると実際に三吉橋ー入船橋間の川底部分を走行することができる。一部分であれ道路が活用されているのであれば「未成道」とは表現できない気もするが、首都高の出口までのランプとしての利用はこの道路の当初の建設目的とは若干性質が異なっている。そのような意味では「未成道」と表現しても問題がないように思える。この区間を俯瞰した様子は下記の写真の通り。堀割式の道路の中央寄りの二車線が都心環状線から新富町出口までの分岐線として利用されているが、その外側にも数車線分のスペースが用意されていることにも注目だ。三吉橋には中央二車線の外側に川底部分と地上部分を接続するスロープが設置されている。



地上から川底部分に建設された未成道を直接確認できるのはこの三吉橋ー入船橋の区間のみだが、未成道はこの先にも続いている。次節では二つ目の区間として入船橋から多目的広場までの様子を紹介したい。
未成道の現状紹介③:現在の未成道の様子 (入船橋ー多目的広場)
本節では入船橋から多目的広場まで(下記航空写真の青色で示した部分)の様子に付いて紹介する。多目的広場というのは隣接する築地川公園の多目的広場のことであり、広場にはバスケットゴールやドッグランが設置されている。川底部分と地上部分は階段で繋がっており、かつては川底であった場所で子供たちが遊ぶ様子はなかなか独特だ。


実際に多目的広場に降りてみるが、どうも不思議な感覚に襲われる。周囲よりも一段低い場所に公園が広がっている様は少々奇妙だ。

公園の南側にはトンネルのような構造物が確認できる。トンネルは南西方面に向かって延びており、トンネルの上には公営の駐車場と築地川公園が広がっている。コンクリート壁でトンネルは二つに隔てられており、実際に内部に入ることはできないものの、外側からその様子を伺うことはできる。次節以降はこの南西方面に延びるトンネルについて解説する。

実はこの多目的広場には、上記のもの以外にもトンネルへの入口が存在している。2025年2月の時点では入口部分が鉄板によって閉ざされているため直接確認することはできないが、南西方面へ延びるトンネル入口のちょうど反対側、すなわち広場の北側には奥へと続くトンネル入口が存在している。下記画像のうち左側の側壁にそのトンネル入口は設置されている。水色のネットで覆われている部分が入口部分だ。鉄板の裏側が非常に気になるところではあるが、勝手に外すわけにはいかない。ここでは鉄板が設置される以前の様子が写っているツイートと動画を引用したい。

鉄板で隠されているトンネルがどこまで続いているのか、そしてどこに繋がる計画だったのか。この二つの問いには三つ目の記事【その3:】で解説したい。
未成道の現状紹介④:現在の未成道の様子 (多目的広場ー備前橋)
さて、この節では三つ目の区間として多目的広場から備前橋まで(下記航空写真の水色で示した部分)の様子を紹介する。これより先の区間についても、未成道がかつての川底部分に建設されたという点はこれまでの区間と同じであるが、現在、これより先の区間には未成道に蓋がされており、未成道の様子を直接確認することは難しい。

多目的広場から延びるトンネルは壁によって二つに隔てられている。上下線を隔てているのだろう。二つのトンネルのうち東寄り(トンネル入口に向かって左側)のものを覗いてみると、左奥(東側)から光が差し込んでいることがわかる。

この光は聖路加国際大学前に設けられたトンネルの出入口から差し込んでいるものである。出入口部分はバリケードによって封鎖されている。




もう片方の西寄り(多目的広場からトンネル入口に向かって右側)のトンネルについても、奥の方で微かながら光がトンネル内部に差し込んでいることが確認できた。

トンネルはどこまで続いているのであろうか?トンネル上部の築地川公園はこの先も南西方面に広がっている。トンネルが延びているはずの、かつて築地川が流れていた跡地を南下すると、トンネルの換気目的なのか、トンネルカルバートの蓋が一部開かれており、トンネルの存在を確認することができる。多目的広場から見えたトンネル奥の光はこの蓋がない部分から差し込んでいたものである。


さらに築地川の跡地に沿うようにして公園を南下すると、備前橋付近ではまたもトンネル出入口のような構造物を確認できる。



備前橋付近のこの出入口は聖路加国際大前のものとは異なり、トンネルの西側に位置している。ここまでに示してきたように築地川公園下部を走るトンネルはコンクリート壁によって二つに隔てられている。上下線を隔てるためにトンネルが二分されていると考えると、トンネル西側に設置されているこの出入口は二つのトンネルのうち西寄りのものに接続するものであると考えるのが妥当だ。となるとこの出入口は多目的広場方面に向かう上り線の入口であると推測できるが、入口にしては一般道から入口に進入する際のカーブの角度がかなり急なものであるように見受けられる。一般道は下記画像の手前方面に向かう一方通行であるため、トンネル内部に入るためにはほぼUターンに近い角度でハンドルを目一杯左に切ることになる。筆者はこの一般道との接続部分はトンネルへの入口ではなくトンネルからの出口として設置されたものであると考えるが、それについては近日公開予定の【番外編】で紹介することにする。
ここまでに紹介したトンネルとそれに併設された構造物の位置関係をまとめると下記のようになる。次節では備前橋よりも南側の備前橋ー門跡橋区間の様子を紹介する。

未成道の現状紹介⑤:現在の未成道の様子 (備前橋ー門跡橋)
未成道トンネルの上側には築地川公園が広がっているわけだが、備前橋以南についてはトンネルの上側には区営の駐車場である築地川第二駐車場が立地している。駐車場は備前橋から門跡橋跡地にかけて(下記航空写真の水色で示した部分)縦長に広がっている。



残念ながら備前橋から門跡橋までのこの区間では地下を走るトンネルを直接確認することができない。駐車場は晴海通りとの「門跡橋交差点」まで続いており、晴海通りを渡った交差点の南側まで地下トンネルは建設されている。すなわち、三吉橋下部から続く未成道の終点は「門跡橋交差点の南側」ということになる。

未成道の現状紹介⑥:現在の未成道の様子 (門跡橋ー小田原橋)
前節で紹介したように、三吉橋から続いてきた未成道の終点は「門跡橋交差点の南側」である。門跡橋以南の築地川跡地には何があるのだろうか?門跡橋交差点の南側には、公営の生鮮市場である「築地魚河岸 小田原棟」が立地している。同じ”公営”でも備前橋ー門跡橋間の駐車場の地下には未成道のトンネルが走っていたが、この生鮮市場の地下にトンネルは建設されていない。


生鮮市場は築地川の門跡橋ー小田原橋間を埋め立てた跡地に立地しているわけだが、実は生鮮市場のオープンは2016年冬と意外にも最近のことである。航空写真を確認するとこの土地は平成二年(1990年)ごろに埋め立てられたことがわかる。埋め立てから生鮮市場のオープンまでの30年弱の期間は駐車場として利用されていたようだ。


築地魚河岸には2018年の築地市場の移転後も築地に残ることを希望した水産関連の仲卸業者のために建設されたという背景がある。本来は三吉橋から続いてきた未成道の続きのための用地のはずであるが、道路計画の見直しと築地市場の移転問題が相まってこの土地に生鮮市場が建てられたのだろう。
さて未成道の現状紹介はこの門跡橋ー小田原橋の区間が最後となる。本稿の冒頭でこの未成道を「作りかけ」の道路として定義したため、これより南側の道路計画地であった場所の現状を紹介することは趣旨とずれてしまうように感じるからだ。それに沿って考えれば門跡橋ー小田原橋の区間においては道路は建設されていないため「作りかけ」の道路は存在しないが、同区間は道路建設がなされることを想定した埋立・運用がなされてきたため、未成道の現状紹介として取り上げることにした。
次回の投稿【その2:未成道・もう一つのトンネルの正体編】では、いよいよこの未成道の正体に迫る。未成道となってしまったこの道路の当初の計画案や、多目的広場から延びるもう一つのトンネルの正体について詳しく解説する。
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