【坂道シリーズ】乃木坂・櫻坂・日向坂の次は…?!それぞれの坂の場所とルーツ、その共通点に迫る!「ズバリ、次は〇〇坂!!」〜次期坂道アイドルの名前候補【ベスト3】を勝手に予想〜[前編]

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はじめに

この記事は「前編」です。前編では坂道アイドル達の概要、日本のアイドル史、アイドル観。そして乃木坂、欅坂、日向坂、櫻坂のそれぞれの坂について歴史や地理と伴に詳しくご紹介しています。

4つの坂の共通点や、長さ、平均勾配などから筆者が予測する次の坂道アイドルのグループ名は「後編」にてご紹介しています。そちらが気になる方は、「【坂道シリーズ】乃木坂・櫻坂・日向坂の次は…?!それぞれの坂の場所とルーツ、その共通点に迫る!〜ズバリ、次は〇〇坂!〜」の後編をご覧ください。

そして最後に、私は世の”坂”についてはどちらかと言えば人より知識がある方かと思いますが、”坂道アイドル”については全く基礎知識を持ち合わておりませんので、誤った情報がないよう最善を尽くしたつもりではこざいますが、間違いがあった場合にはコメントしていただけると助かります。

坂道シリーズ

ここ数年の”坂道シリーズ”と呼ばれるアイドル達の活躍と人気には目を見張る。自己紹介でお馴染み「好きな芸能人は?」という典型質問の回答のうち、半数くらいがこの坂道シリーズのメンバー達の名前を挙げる。坂道シリーズとは、乃木坂46、櫻坂46、日向坂46の三つの女性アイドルグループの総称である。ご存知の通り、若い女の子達で構成されるグループな訳だが、同性のファンも相当数な様子。アイドル史がももクロとAKBで止まっている私だが、坂をきっかけに坂道アイドル文化に触れてみることにした。

坂道シリーズは、ももクロやAKBに比べるとより洗練されていて、現代的な印象も持てる。アイドル文化が一般化したのは、坂道シリーズのお陰なのかも知れない。

映画モテキで森山未來がこのライブ映像を見ているシーンは印象的だ。

”坂道シリーズ”はその名の通り、それぞれのアイドルグループの名前が”坂”にちなんだものだ。その坂が実際に実在しているというのが面白いところであろう。坂道アイドルに精通する友人MちゃんとKくんに話を聞いたところ、現行の坂道アイドルは乃木(のぎ)坂46、櫻(さくら)坂46、日向(ひなた)坂46の三グループを指しており、二つ目の櫻(さくら)坂46の前身は欅(けやき)坂46。人気アイドルがグループ名を改名したのは私でも耳にしていた。三つ目の日向坂46の前身もまた、けやき坂が由来だったそうだが、こちらはひらがなで”けやき坂”と書いていたそうだ。少々複雑だ。これも何か康君の戦略の一つなのだろうか?

日本のアイドル史

坂道シリーズを始めとしたアイドル達は何十人もの女の子達で構成されているが、アイドルが大人数化したのは一体、いつからなのだろうか?
そしてここまでアイドル達が大衆受けし、広く一般化した理由はなんなのだろうか?

作曲は、坂道シリーズをプロデュースしている秋元康。

小泉今日子が1986年に歌ったこの曲、作詞は坂道シリーズをプロデュースする秋元康。曲調こそ90年代感が全開だが、秋元康の作曲かつ”アイドル”をテーマにした曲ということもあり、秋元康の”アイドル”に対しての考え方が伺える。歌詞を紹介したいところだが、JASRACに怒られかねないので辞めておく。気になった方はぜひ聞いていただきたい。

この後、モー娘、SPEED、おニャン子クラブとソロアイドルからグループアイドルへとシフトしていったのだろう。というか、おニャンコ子クラブも秋元康か。。。すごい。
一概に、いつがアイドルグループの変革期だと定めることは相応しくないのだろう。

それこそ、もっと遡れば江戸時代には遊女達が現代で言うところのブロマイド的なノリで、うちわに自分の顔を描いて販売していたという記録も残っている。”アイドル”を定義付けするのも難しいことなのかもしれない。

そして20世紀が終わりを迎え、アイドルはより身近な存在になった。AKBにSKE、ここら辺から記憶に新しい人も多いはずだ。そして秋元ワールドが展開され、今に至るという感じだろうか。最近ではもはや、彼女達はアイドルであると同時に、アーティストの領域に達しているのかもしれない。

私自身の実感だが、この数年で人々のアイドルに対しての認識が大きく変わっている気がする。アイドル観とでも命名しようか?長年の間アイドルを毛嫌いしていたような人は例外なのだが、自身がアイドルオタクであることをオープンにする人が増えたのではないだろうか?

思い返して欲しいのだが、つい5、6年前まで自身がアイドルオタクであることを公言する人がどれだけいただろうか?この頃にはまだオタク文化に対しての偏見も多かったはずだ。私自信、AKBやSKEをガラパゴス的なものだと考えていた。

“推し”という言葉を借りるなら、私の推しは森高千里である。名曲・渡良瀬橋に初めて出会った時、日本の義務教育においてわざわざ学生達にリコーダーを購入させる理由を理解した。ちなみに先日、栃木の渡良瀬橋と、曲中に出てくる公衆電話を訪れてきた。私も、”聖地巡礼”なるものをしている立派な”オタク”の仲間入りを果たしたのだろうか?

坂道アイドルの歴史

坂道シリーズの話から少し逸れてしまった。

まず最初に、坂道シリーズの来歴を調べてみた。前述の通り、現行の坂道シリーズは3グループなわけだが、一番活動歴が長いのは乃木坂46らしい。確かに私の周りの坂道ファン達の多くが乃木坂ファンな気もする。次に結成したのが欅(けやき)坂46(=これが現在の櫻(さくら)坂46の前身。)この欅(けやき)坂46の子会社的な立ち位置でスタートしたのが平仮名のけやき坂46(=現在の日向坂46の前身)らしい。この平仮名のけやき坂の誕生をめぐっては深いドラマがあるようなのだが、長くなり過ぎそうなので割愛させていただく。

一番最初に結成された乃木坂46以外の二組はグループ名の改名を経ている。2019年に平仮名のけやき坂46が日向坂46に。2020年に欅(けやき)坂46が櫻(さくら)坂46に改名した。

全く持って前提知識がないので間違っているところがあったらコメント欄で指摘していただけると助かります。

乃木坂

グループの発足順にそれぞれの坂について調べていくことにする。まずは乃木坂46からだ。

乃木坂は東京都港区赤坂にある坂。”乃木坂”は千代田線の駅名でもある。乃木坂についてだが、長さは大体170m。南西に上り、東向きに下る。高低差は約15.09m。平均勾配は6.52%でおよそ3.73度傾いている。そこそこ上りがいのある坂だ。坂の途中で90度近く曲がっているのが特徴的だ。

坂の上から。
坂下より。

この乃木坂は、過去には”幽霊坂”と呼ばれていた。青山霊園がすぐ近くに位置しているからだろうか?実は、幽霊坂の由来は単純。幽霊坂と呼ばれていた当時、この周辺ではお化けが出そうなほどに人が少なく静かだったからとのこと。

その後、幽霊坂の名は乃木坂へと変わってゆく。乃木坂の名は乃木希典という人物の殉死がきっかけだ。この乃木希典は陸軍大将&学習院の校長というエリート経歴の持ち主で、現在の乃木坂の近くに住んでいたそうだ。この人物が1912年9月に殉死。この死を悼んで当時の赤坂議会がこの地の名前をを幽霊坂から乃木坂に変更した。この乃木希典は夏目漱石の「こころ」にも登場する。

死語109年後に自分の名のついた、美少女集団が超人気なんて羨ましい。

乃木希典は死後、日露戦争での功績から勝利の神様とされた。この乃木神社もまた坂道ファンたちの聖地の一つになっているようだ。肝心な乃木坂46とこの乃木坂の関係性についてだが、乃木坂46の最終オーディションが行われたビルが「SME乃木坂ビル」であったことに由来しているそうだ。「乃木希典が勝利の神様だから。」この理由から来ているのかな?そうも考えたが、そもそもAKBのライバルとして結成された乃木坂46。当時AKBのプロデューサーでもあった秋元氏にとってみれば、我が子二人に優劣をつけられなかったのかもしれない。

欅坂

次に欅(けやき)坂46。現在の櫻(さくら)坂46の前身となったグループだ。

実はこの欅坂なのだが、漢字で”欅坂”と書く坂は存在しない。しかし平仮名の”けやき坂”は存在しており、ファン達の間でもこの平仮名のけやき坂を由来の地と判断しているらしく、その考えに従って「けやき坂」=「欅坂」という認識で進めさせていただく。

欅坂は港区六本木の六本木ヒルズの南側に存在する。長さはおよそ380m。西に向かって上り、東に下る。高低差が約12.89m、平均勾配は約3.4%、およそ1.94度傾いている。かなり傾斜が長いのでそこまで急な坂とは言えないであろう。冬にはライトアップが施されることでも有名だ。

坂の上から。
坂の下から。

この欅坂は、六本木ヒルズの建設に伴って整備された道であり、歴史は浅い。六本木ヒルズができる前、そこには多くの民家や学校があったそうだ。今では六本木ヒルズを中心とした一つの街を形成している。さらに遡れば、ここには毛利藩の屋敷があった。六本木ヒルズのすぐそばに「毛利庭園」が存在するが、これは再開発の際に整備されたものであり、毛利藩の本当の日本庭園の池は現在の毛利庭園の下に埋まっている。意外にも知られていないが、現在の毛利庭園はあくまでも江戸時代の庭園を”再現”したものなのだ。

毛利庭園。
出典:wikipediaより。
〈https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ca/Roppongi_Hills_Mori_Garden_2013.JPG〉
参照:2021.10.10

実は、この地は先程の乃木坂の名前の由来にもなった陸軍大将・乃木希典の生まれた場所でもある。ただの偶然なのだろうか?はたまた、坂道アイドル達と乃木希典の間には何か関係でもあるのだろうか?

「乃木大将生誕之地」と掘られている。

「聖地巡礼〜!」と乃木神社や乃木坂を訪れるファン達は今後、本当の”聖地”であるこの石碑を訪れるべきである。真の起源はここだ☆

日向坂

次に日向坂だ。日向坂の読みは「ひなた坂」である。「ひゅうが坂」と読めそうな気もする。踊る大捜査線に登場する小泉今日子が演じた、サイコパス風な犯人の名前が確か「ひゅうがまなみ」だったことを思い出す。

さて、日向坂46だが、日向坂46はひらがなの”けやき坂46″がグループ名を変えて誕生したものだ。例に倣って、日向坂46もまた現実に日向坂という名の坂が存在している。日向坂は港区三田に存在している。

坂の長さは約130m、東に上り、西に下る。高低差は約11mで平均勾配はおよそ6.21%の3.55度。

坂上から。
 坂下より。

この日向坂、かなり上りがいがある。高低差は小さいが、坂全体の長さが短い分、体感ではきつい。坂の途中にはオーストラリア大使館がある。大使館の周囲には警備の警察官が数名立っていることが多いが、日本の警察は優秀だ。坂の周りをぐるぐる回りながら写真を撮りまくる私に話しかけてきた。しかし坂道ファン達が訪れることも多々あるのだろうか?意外にも坂の写真を撮っていると説明するとすぐに解放された。

そんな日向坂、標識の解説書きにあるように歴史は長い。江戸時代の地図がなかなか見つからなかったので、明治のものにはなるが1909年、今から100年以上前から日向坂は存在している様子だ。地図左側が明治42年(1909年)、右が現在のもの。活動歴としては坂道シリーズの中でも浅い日向坂46だが、坂の歴史という視点では、他のグループにボロ勝ちだ。

この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

櫻坂

最後に櫻(さくら)坂。櫻坂は二つ目にご紹介した欅(けやき)坂46がグループ名を変えたものだ。櫻坂もまた欅(けやき)坂同様に、「櫻坂」と漢字で書く坂は存在していないが、平仮名の「さくら坂」は存在している。そしてファン達の間ではこの平仮名のさくら坂を由来の地としているらしい。欅(けやき)坂の時と同じだ。ちなみに漢字違いの「桜坂」は港区赤坂に存在している。櫻坂は約330m、北東に上り、東に下る。高低差は約15.7m。平均勾配は4.73%で2.7度ほど傾く。

そしてロマンチックなことに、欅坂と櫻坂は繋がっている。欅坂の頂上部から少し下ると途中で櫻坂に分岐する。アイドル世界の方も、欅坂が改名して櫻坂に変わったわけで、なんだがアイドルの名前の歴史が現実世界にリンクしているかのようだ。

※追記
実際に、櫻坂46が出演するバラエティ番組の番組名が「そこ曲がったら、櫻坂?」らしい。やるじゃん康。

欅坂を少し下ると、途中で櫻坂に分岐する。

坂の上より。

櫻坂はその名の通り、桜が坂の左右に植えられている。春には桜の名所としてたくさんの人が訪れる。桜が咲く時期にはライトアップもなされるそうだ。

坂下から。

櫻坂もまた欅坂同様、六本木ヒルズの開発時に整備された坂とされているが、古地図を見る限り明治42年(1909年)には櫻(さくら)坂の概形はなんとなく出来上がっている。加えて、坂の南側に「文」のマークが確認できる。これは学校を表す地図記号であるが、地図を見る限り1909年から存在している。東京都立六本木高等学校だそうだ。

櫻坂の概形が残っていること、六本木高校の場所が変わっていないこと。櫻坂よりも北側(地図中上側)の建物がなくなり、跡地に六本木ヒルズができたこと。これらから判断するに、ちょうど櫻坂のあたりが六本木ヒルズ開発の土地買収における境界線だったのだろうと推測できる。

この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

後編に続く

前編では坂道アイドル達の概要、歴史、そして乃木坂、欅坂、日向坂、櫻坂それぞれの坂について紹介させていただいた。後編ではいよいよ、4つの坂の共通点や長さ、勾配などの観点から、次の坂道アイドルの名前に使われそうな”坂”を予想することになります。ぜひご覧ください。

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