【知ってた?】冬至の日の出と明治神宮の知られざる秘密に迫る。【表参道】

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年の瀬

2021年ももう終わりを迎えようとしている。米国、トランプ大統領の就任が1月頃だったそうだ。あっという間である。この時期になると、毎年センチメンタルな気持ちになる。(クリスマスが終わった途端に、そんな気持ちから一瞬で解放される理由は不明)今日[2021/12/22]は、2021年の冬至だ。冬至とは簡単に言えば、1年で最も夜が長く、昼が短い日のこと。カボチャを食べたり、柚子湯に入ったり…冬至に関する様々な風習は現在でも受け継がれている。

この時期の表参道はイルミネーションが輝く。

そんな冬至にまつわるトリビアの一つにこんなものがある。
「冬至の朝、日の出を明治神宮から見ると、太陽が表参道の延長線上から昇ってくる」
なんだかロマンチックなトリビアだ。若者の街・原宿、高級ブランド店が軒を連ねるオトナな街・表参道。そんなおしゃれなこのエリアの「1年に1度だけ」というおセンチ度高めなこのトリビアが本当なのかどうか、検証してみた。今の筆者にぴったりな企画である。

トリビア

今回検証した「冬至の朝、日の出を明治神宮から見ると、太陽が表参道の延長線上から昇ってくる」とうトリビアについてもう少し詳しく見ていこう。内容ををもう少し丁寧にお伝えすると、毎年冬至の日の朝、表参道の大通りにて明治神宮側(原宿側)から表参道交差点方面を望むと、大通り(表参道)の延長線上から太陽が顔を出す。イメージを地図にしてみた。

地図中、下側が渋谷方面、上側に新宿方面。

行ってみた

年に1度のこのイベントを逃すわけにはいかない。本日早朝、目を擦りながら井の頭線に乗り込んだ。なんだか受験生の頃を思い出す。入試の朝、Queenの”We Will Rock You”を聞きながら会場に向かった記憶が蘇った。閑話休題。

6時20分ごろ現場入り。日の出目的の同志たちが既に何人かいた。

写真は6時20分頃の様子。日の出時刻は6時48分だったが、既に空は色づき始めていた。まだ太陽は姿を見せない。そして55分を回ったあたりで、一筋の光が向こう側から伸びてきた。神秘的な光景であった。その瞬間もビデオに収めることができたので載せておく。

まさに一筋の光。
少し引いてみたアングル。

これは偶然なのか?

前段落にてご紹介したように、実際に太陽は表参道の延長線上から昇ってきた。このトリビアは本当だった。タモリもびっくりである。このロマンチックな現象は果たして偶然なのだろうか?答えとしてはNOだ。この事象は意図的なもの。参道は太陽の光が明治神宮に差し込むように計算のもとで設計された。初めてこのロマン溢れる設計を知った私はこう疑問に思った。「なんで冬至なんだ?元旦の方がキリ良くね…?」だがここには「冬至」だからこその理由が隠されていた。

なんで冬至?

本記事の冒頭にてご紹介したとおり、冬至の日は1年で最も夜が長く、昼が短い。
ここで突然だが、「二十四節気」をご存知だろうか?1年を24等分するという考え方だ。中国由来のもので、日本の季節感とは若干のずれがあるが、日本にもこの二十四節気の概念は流入した。この二十四節気において冬至は一年の起点であり終点であると考えられる。ここで冬至の日の性質に立ち返ると話の辻褄が合う。冬至の日は1年で最も夜が長く、昼が短い。言い換えれば、冬至の日にかけて昼間は短くなり、冬至の日を過ぎれば昼間の時間がまた長くなる。二十四節気において、冬至は「太陽の復活日」とされているのだ。

つまるところ、太陽の復活の日である冬至の日にこの現象が起きるように設計されたのだ。

すると次に浮かぶ疑問はこうだ。「なんで明治神宮を照らすの…?」これは明治神宮の歴史の中に答えがある。

なぜ明治神宮を照らすのか。

まず明治神宮の概要を確認したい。明治神宮には明治天皇とその皇后が祀られている。「明治」の「天皇」を祀っていることが「明治神宮」の由来。表参道はそんな明治神宮の「参道」として整備された。銀杏並木が有名な神宮外苑は明治神宮の「外苑」として少し離れた場所に整備されたもの。対照に、明治神宮の本殿があるのは「内苑」である。

明治神宮本殿。

明治神宮は国民からの建立を望む声に応えて造られた。新宿と渋谷の間という大都会に位置しながもその大きさは圧巻で、豊かな自然が広がる。都会の喧騒を忘れさせるオアシスだ。初詣の参拝者数は日本一を誇る。

明治神宮の大鳥居。

その雄大さ故にあまり周知されていない事実だが、明治神宮に拡がる森林は人工のものだ。明治神宮の建立当時、全国から献木されたものである。明治神宮の建設前、この近辺には畑が広がり荒野が続いていたという。林苑は未来の木々の成長をも考えて設計されたというから驚きだ。100年近く前から未来を見据えた持続可能な取り組みとやらを実践していたとは。。。

明治神宮建設前の様子。

出典:明治神宮ホームページより。(2021.12.22 参照)
https://www.meijijingu.or.jp/midokoro/

森林の配置計画と未来の森林の予想図。4段あるうちの1番上が建立直後、50年ごとに描かれている。

出典:明治神宮ホームページより。(2021.12.22 参照)
https://www.meijijingu.or.jp/midokoro/

前述の「なんで冬至の日に明治神宮を照らすのか?」という問いの答えを残しておきたい。
これは私的な見解だが、私の思うところでは、国の象徴であった明治天皇と皇后が祀られる明治神宮を、復活の光とされる冬至の太陽光で一番最初に照らすことで天皇と皇后そのものの復活を祈っているのではないだろうか。

明治時代にどれほどの人が信じていたかは断言することができないが、昔の日本人は確かに死者を生き返らすことは可能だと信じていた。

古事記には倭建命が亡くなった際、その妃たちが倭建命を復活させるために飛んでいった倭建命の魂を追いかけるシーンが残されている。冬至を過ぎればまた日が長くなるという性質から「一陽来復」という四字熟語も生まれた。古来、冬至で「復活」の概念が大切にされてきたことは間違いないだろう。

おわりに

今回検証したトリビアである「冬至の朝、日の出を明治神宮から見ると、太陽が表参道の延長線上から昇ってくる」は真実であったわけだが、ご紹介したようにこのトリビアには100年前の日本人の粋な計らいが秘められていた。このロマン溢れる設計にはどんな意味が込められているのだろうか?受け取り方はそれぞれだ。

だが1つ言える確かなことは、太陽は昔も今も我々にとって特別な存在であるということだろう。それこそ、古代エジプトでは文明が生まれた当初から太陽を神とする考えが発達していたし、日本においてもアマテラスは太陽を司る神として有名だ。

現代人だって、太陽と共に目覚め太陽と共に眠りにつく(例外あり)。最近では太陽から電気を作っちゃたりと、太陽さんにはいつもお世話になっている。しかし残念なことに、今後50億年以内に拡大し続けている太陽は地球を飲みこむとされている。それよりも前に、太陽の拡大で地球の温度は上昇し人類は絶滅するとさえ言われている。最近流行りの「持続可能な社会への取りみ」は全部水の泡になるわけだ。なんとも皮肉的。だからといって、後世に無責任な暮らしを続けていいわけではないが、いつまでも人類が続くという考えそのものが宇宙さんを舐めていたのかもしれない。

「実は今の我々人類文明が生まれる前に、宇宙のどこかで今の我々と同じような生命体が存在していたのかもしれない」
最近そんなことを考える瞬間がよくある。今のこの人類文明の終わりが意外とすぐそこだったりして。

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