『日本橋クルーズ』〜最終コマが休講になったので、日本橋クルーズに飛び込み参戦してみた〜

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突如舞い降りる「休講」の調理術。

「R」の発音がなかなか進歩しない中、空腹を耐え切りフランス語の授業を終え、昼休みを満喫。お昼を食べ終わった頃に、午後の授業の担当教員からメールを受信。授業の内容に関しての連絡であったが、内容を見る限り、規定の授業時間よりも明らかに早く終わると確信。周りの学生よりも、数時間早く帰ることができるわけだ。どこか寄り道する他ない。この突如舞い降りる「数時間早く帰れる特権」を有効活用できる寄り道だとより理想的である。残りの休み時間を最大限活用し「寄り道」の場を選定する。一般人であれば話題の映画を見る、ボーリングに行く、カラオケに行く。様々。だが特殊性癖を持ち合わせる私は、そんな「寄り道」では満足できない。少しアカデミック的要素を含んでいて、東京の魅力に触れることができる。尚且つ「楽しさ」も求められる。そんな注文の多い寄り道を探す。そして巡り会ったのが「日本橋クルーズ」さんの「お江戸TOKYOクルーズ」である。60分かけて日本橋川、隅田川をクルージング。生ガイドさん付き。大人一名、税込2000円。

お馴染み日本橋。橋の四隅の獅子(ライオン)が持つのは東京都の紋章で、「東京を護る」の意が込められているらしい。

迫り来る出発時間。

「お江戸TOKYOクルーズ」に乗船すると意志決定。電話予約を試みるものの、相手側にもお昼休憩があることを完全に忘却。繋がらないまま授業が始まってしまう。流石に授業開始後に堂々と電話する勇気はないので、なるべくはやく授業が終わることを願う。この日の「お江戸TOKYOクルーズ」は15時15分に日本橋からの出発。キャンパスの最寄りから日本橋まで約45分。出発時間の20分前までに受付を済ませる必要があるそうで、単純計算で14時10分には電車に乗らねば死を宣告されることに同義。授業自体は案の定、14時をちょうど回った頃に終わる。ここからは足の速さ、電車の運、膀胱の大きさに結果が左右される。この日は4月とは思えない暖かさ。少々、水分補給しすぎてしまった。駅までの坂をダッシュで駆け下り、なんとか予定通りの電車に乗車。途中、乗り換えの隙を見て電話予約を再び試みる。今度は無事繋がり予約に成功。快く対応していただいた。膀胱のキャパシティを迎えるのとほぼ同時に日本橋駅に着。汗だくである。受付を済ませ、とりあえずお手洗いの場所を聞いた。

日本橋のすぐ真横の桟橋から乗船できる。

お江戸TOKYOクルーズ。

さて、飛び込み参戦にも快く対応していただいた「日本橋クルーズ」さんの「お江戸TOKYOクルーズ」お江戸TOKYOクルーズは、日本橋クルーズさんが運行するコースの一つ。ルートはA/B/Cの3つが用意されていて、今回はCコースに参加させていただいた。料金はジャスト2000円。ガイドさんの説明付きで、60分で日本橋川、隅田川を回る。ボートからの画角でしか見られない光景の中に江戸時代からの痕跡が映っているのが魅力の一つ。しかしながら、歴史どうこうの問題以前に、東京の、しかも23区の川をボートでクルージングなんて楽しいに決まっている。実際楽しかった。「日本橋クルーズ」さんでは多種にわたってコースを用意されている。ぜひ、クルージングを体験していただきたい。<https://nihonbashi-cruise.jp/

乗り場からの画角も普段は体験できない。

特殊視点での日本橋。

クルーズの最大のメリットは、地上からでは体験できない画角の光景である。まずは日本橋。現在の日本橋は初めに架けられてから、現在のもので20代目。美しい景観が保たれている日本橋だが、下側からの光景は意外なものだ。橋の隅はかなりの傷が残っており、損傷している。この傷や焦げは約100年前についたと言われているらしい。1923年の関東大震災の際に、船が日本橋まで流れ着いたが橋の端に引っかかってしまったそう。何隻もの船が貯まる中で炎が燃え移り、その時にできたのがこの抉れた傷や焦げ、とのことだ。橋の下側からでしか眺められない景色だ。

ふたつの「常盤橋」

今回乗船させていただいた「お江戸TOKYOクルーズ」では、日本橋桟橋を出発後に一旦、日本橋川の上流に向かう。その後、「常盤橋」にてUターン。下流に進み、亀島川を経由して隅田川へ。そして日本橋に戻ってくる。さて、日本橋をくぐり抜けると、次は「一石橋」を望む。「一石橋」と書いて「いっこくばし」と読むそう。日本橋川に架る橋の中で最も低い橋らしい。そんな一石橋の次の橋は「常盤橋」そのまた次も「常盤橋」漢字の間違い探しをしている訳ではなく、単純に「常盤橋」は二つ存在している。このコースでは、二つ目の(上流寄りの)常盤橋の手前でUターンをすることになっている。

同じ名前が二つ。ちとややこしい常盤橋だが、かなり歴史的スポット。筆者個人としてはこのコースのベストスポットだった。実は上流寄りの常盤橋は石で出来ていて、歩行者しか渡れない。下流寄りの常盤橋の方が歴史的には浅く、自動車も通ることができる。区別するために石製の上流寄りの常盤橋の「盤」の字を「磐」に変えて「常磐橋」と書くことが多いらしい。読み方はそのまま「ときわばし」でOKだそう。

常盤橋。

まずは下流寄りの「常盤橋」石製ではない方。こちらの常盤橋は、上流寄りの常盤橋が木製から石製に変わった際、橋の幅が狭かったことを理由に架けられた。関東大震災の復興計画の一つとしての意味も込められているという。

景観だけでは、下流寄りの常盤橋の方が年季が入って見える。実際には、上流寄りの常磐橋の方が歴史的には深い。

常磐橋。

続いて、上流寄りの石製の常磐橋。こちらの常磐橋、歴史的に重要であったことに間違いない。そして、これからの未来にもきっと大きな意味を持つこと間違い無いだろう。まずは橋の概要について。この常磐橋の起源は室町時代頃にまで遡る。1400年代半ば頃には、既に同じ位置に橋が架かっていたいたという説があるが、確信を持たせる記録は残っていない。当時は木製であったという。時は流れて、明治時代。木製から石製へ作り替えられた。明治13年、1880年の常盤橋の様子が残っている。

1880年(明治13年)頃の常盤橋。

出典:wikipediaより。

<https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tokiwabashi_env.1880.jpg>(2021.04.30)

橋が石製に立て替えられたとほぼ同時に、橋を渡った先にあった江戸城の「常盤橋門」は解体されてしまう。だが、門自体は解体され姿を消したものの、石垣のみは当時のまま、今日まで形を変えることなく残っている。

400年の時の流れを、1枚に。

江戸時代の石垣が残る常磐橋。そんな常盤橋エリアに、新たな歴史の足跡を残す計画が動いている。三菱地所さんの「東京駅前常盤橋プロジェクト」である。「三菱地所を見に行こう〜♩」でお馴染みの三菱地所さんによる、常盤橋エリアの開発だ。この開発の最大の目玉は、なんといっても完成時には390mもの高さを誇る「TORCH TOWER」。超高層タワーが常盤橋エリアに造られることになる。参考までに、東京タワーは333m、横浜ランドマークタワーが296m。完成時には日本一高いビルになるわけだ。完成予定は2027年。その頃は、どんな東京になっているだろう。まだマスクをつけているのだろうか? TORCH TOWER、デザインも個人的には近未来的で、クールな印象を受ける。歴史的に深いエリアの中に聳え立つことになるこのTORCH TOWERは、ある種の「融合」チックなものに受け取ることができた。「江戸」と「令和」の融合と言っても間違いではないだろう。

写真中央の建物が「TORCH TOWER」出典:三菱地所株式会社 <https://www.mec.co.jp/tokiwabashi/>(2021.04.30)

話を常盤橋に戻したい。前述にもある通り、この常盤橋はクルーズコースの推しポイントである。というのも、まさにこの歴史と近未来の融合を同じ画角で楽しむことができるのだ。つまるところ、2027年には、「江戸から残る石垣」と「TORCH TOWER」を一画角に収めることができるようになる。そんな画角は日本橋川からでしか、望むことはできない。常盤橋の手前から、石垣方向を見上げれば、そこでは400年間の時の流れをまさに、目の前で体感することができるといっても過言ではない。常盤橋は400年の時間の流れの架け橋的役割も担っているのではないだろうか。三つ目の「常盤橋」の誕生と捉えてみたい。

2027年には、きっと”違う”光景が広がっているはず。

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