はじめに
この記事は後編です。後編では実際に、筆者が予想する次期坂道シリーズの坂の名前をご紹介します。今までに使われた乃木坂・欅坂・日向坂・櫻坂の4つの坂の所在地や方角、坂の長さ、坂の傾斜…これらのデータを参考に勝手に次期坂道アイドルの名前を予測します。
前編では、坂道アイドル達の概要、日本のアイドル史、アイドル観。そして乃木坂、欅坂、日向坂、櫻坂のそれぞれの坂について歴史や地理と伴に詳しくご紹介しています。そちらも合わせてご覧いただければ幸いです。
方角
まずは坂の方角という概念から共通点を探ることにする。坂の方角に特化した図を作ってみた。
図から、4つの坂の中で日向坂を除いた、3つの坂が東向きに下っている。日向坂は西向きに下っているものの、東向きには上っており、坂道シリーズに使われる坂には「東」が関連していると言えそうである。
そこで、次期坂道グループの坂を予想する条件の一つに「・東向きに下る」を追加することにする。3つの坂が東向きに下る確率はだいたい1.6%である。
所在地
それぞれの坂の住所は表の通りである。4つの坂全ての所在地は東京都港区である。
「・坂の所在地が東京都港区」を条件に追加することにする。これは明確な条件になりそうだ。
長さ
ここまでの「・東向きに下る」と「・坂の所在地が東京都港区」の条件で、坂学会(旧日本坂学会)のホームページにて公開されている港区にある130の坂の中から選定するが、まだまだ候補は多い。
そこで、乃木坂、欅坂、日向坂、櫻坂の4つの坂の長さから、グループ名に採用された坂の長さの標準偏差を求め、選考条件に追加することにする。それぞれの坂の長さと、そこから求めた分散、標準偏差については以下の通りである。
「・坂の全長が147.5m〜357.5m」を条件に追加する。この条件の追加で、次期候補の坂は11個に絞れた。現時点でのオーディションを通過した坂達の顔ぶれはこんな感じだ。
平均勾配
130の坂を11にまで絞ることができた。次は「平均勾配」という視点で選考したい。平均勾配とは簡単に言えば坂の傾き加減みたいなものだ。乃木坂、欅坂、日向坂、櫻坂、それぞれの平均勾配から「長さ」と同様に標準偏差を求める。このデータを使って上記の11の坂をさらにフルイに掛ける。数値は以下の通り。
「・坂の平均勾配が2.26度〜3.7度」を条件に追加する。この条件でさらに選択肢を絞る。
文字数
最後に、坂の名前の文字数に着目してランキング付の作業に移る。乃木坂、欅坂、日向坂、櫻坂の4つの坂はそれぞれ「〜坂」まで含めて、乃木坂が4文字、欅坂が5文字、日向坂が5文字、櫻坂が5文字。最後の条件「・坂の名前は4〜5程度」を追加した。
〜結果発表〜
これまでの5つの条件を確認する。
これらの5つの条件から選定した結果の次期坂道グループ名に使われそうな坂ベスト3は以下の通りだ。
選定の結果、1位は牛坂。2位は同率で笄(こうがい)坂と幽霊坂。いろいろと名前的にツッコミどころが満載だが、それぞれの坂について詳しくみていくことにする。
牛坂
選定の結果、一番条件に合致したのが「牛坂」である。アイドルのグループ名が「牛坂」とは、賛否両論を呼びそうであるが、あくまでも”名前”の予測なのでその旨、ご承知いただきたい。
牛坂は東京都港区西麻布にある坂。長さは約230mで、西に上り、東に下る。高低差は約15mで平均勾配は6.42%で3.67度。傾き加減で言ったら乃木坂と同じくらいだろうか。
右:牛坂と第二位の笄坂の間には何か関係性があるようだ。
この牛坂、坂の歴史は大変長く、前編でご紹介した日向坂よりも前から道として整備されていたと推測できる。”牛”の由来については、諸説あるが、この坂道を牛車がよく往来していたからとされている。
出典:ウィクショナリーより。<https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Char_àbuffle(Baie_dHalong_terrestre)_(4368431793).jpg>(参照:2021.10.13)
前述の通り、この牛坂はそれなりに傾斜のある坂である故、牛はこの傾斜に苦しんだと想像できる。この牛がその傾斜に苦しみ鳴いたとされることから、「牛鳴坂」と呼ばれた時期もあったそうだ。
個人的に、仮に牛坂46が誕生したらギャップ萌えに加えて、牛のコスプレなんてしたら可愛いだろうにと感じたところだが…。この坂道シリーズの記事執筆にあたり情報提供してくれた友人Kくんの反応はイマイチだ。むしろアウトである。
笄坂
牛坂の次に条件に合致したのは、同率で「笄(こうがい)坂」と「幽霊(ゆうれい)坂」である。先に笄(こうがい)坂の方からご紹介する。この笄坂、1位の「牛坂」と場所がとても近く、路地を数本挟んでほぼ平行に走っている。
笄坂の所在地は東京都港区西麻布。長さはおよそ280mで、西に上り東に下る。高低差は12.7mで平均勾配は4.57%で2.61度。櫻坂と同じくらいの傾き加減だ。ちょときついかな?くらいの坂といったところだろうか。
右:笄川が流れていたようだ。
右:坂の上側には”首都高速3号渋谷線”が走る。
笄坂の標識にはこう刻まれている。「こうがいざか 坂下を流れていた笄川の名からついた付近の地名によってこう呼ばれるようになった。」
「笄」という地名、聞き慣れない地名だが存在するのだろうか。Google Mapで検索してみると数件ヒットする。「港区立”笄”公園」に「港区立”笄”小学校」などなど。関係性は不明だが、笄坂のある港区西麻布には「笄」の文字が入ったレストランも複数存在するようだ。
どうやら、この「笄」という地名は過去には存在したものの、今はもうなくなってしまったそうだ。記録によれば、1869年から1967年まで存在していた。
次に、この「笄」の由来となった「笄川」について調べてみた。笄坂の標識にもある通り、かつてこの笄坂の坂下には笄川が流れていたそうだ。現在の航空写真を見てみるが、その痕跡はなさそうだ。
現在、笄川は地下化されており、その流れを確認することは難しい。笄川は今でも道路の下を流れており、その位置はおおよそ上記地図の青いライン。川は南下して天現寺付近で渋谷川に合流する。オレンジ色のラインが笄坂だ。
ここで明治時代の笄坂付近の様子を見てみよう。意外にも、明治時代には現在の道路網がだいたい出来上がっている。共通していると思われる道路には、明治4年(1871年)の地図と、現代の地図それぞれに緑色でラインを入れてみた。ちなみに黄色は牛坂である。
明治の地図には笄川が残っている。現在では、川の跡地に沿うようにして都道418号線が走っている。では最後に「笄」の由来について。笄坂の由来は笄川だが、そもそも「笄」とは何なのだろうか。
笄とは、「昔の人々が頭が痒いときに髪型を崩さずに掻くためのもの」らしい。なんでそんな道具の名前が地名に…?実はこの笄は、刀につけて持ち運ばれることが多々あったそうだ。
<https://www.touken-world.jp/tips/10002/> (参照:2021.10.15)
時は遡ること平安時代。東京で天慶の乱と呼ばれる反乱が起きた。当時、東京にいた源経基(つねもと)は京都にこの反乱の情報を伝えるため、西へ向かった。
そして辿り着いたのがこの笄坂の付近。当時の笄川は橋のないところでは渡れない程に水流が激しく、経基は橋を探した。しかしながら、見つけた橋は既に反乱を起こした反乱軍たちによって陣取られており、経基は困ってしまう。
出典:Wikipediaより。<https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Minamoto_no_Tsunemoto.jpg> (参照:2021.10.15)
そこで経基は、自分も反乱軍の味方であり、仲間を呼びに行くために西へ向かっているのだと嘘をつく。反乱軍たちは証拠を置いていけと経基に告げた。そして証拠を求められた経基は自身の刀につけていた「笄」を差し出した。これが「笄」の由来である。本当かどうかはめちゃめちゃ怪しいが笑
幽霊坂
牛坂と同率2位に”輝いた”のが”幽霊”坂。美少女アイドルのグループ名が幽霊坂46、うむ、恐らく有り得ない。だがしかし、この記事の前編でご紹介したように、乃木希典の殉死までは現在の乃木坂は幽霊坂と呼ばれていた。理由は単純で、幽霊が出そうなほど人が少なかったから。幽霊坂と呼ばれる坂は港区内にもう一つ存在する。もう一つの幽霊坂は港区三田に位置し、そっちの幽霊坂のほうが標識も存在しており有名ではあるが、条件には当てはまらなかった。
条件に当てはまった方の幽霊坂の住所は港区高輪。全長は約260mで南西に上り東に下る。高低差は15.4m。平均勾配は5.93%で3.39度。傾き加減は日向坂と近い。この幽霊坂、左右にくねくねと曲がっているのが特徴的だ。
右:この坂は”抜け道”感がすごい。
右:S字を描くように曲がる。
この幽霊坂は左右をマンションに囲まれている。抜け道的な役割を果たしているのだろう。幽霊坂を下り切って数十メートル北に歩けば、泉岳寺がある。幽霊坂がこんなにもくねくねと曲がっているのは何故なのだろうか。詳しい情報が探しても出てこなかったのだが、とある解説を見つけた。
「途中道がカーブしているのですが、江戸時代、沼津藩と兵庫藩のお屋敷になっていた場所で当時の地図を見ると屋敷の池があったようで、そこを迂回している名残かもしれません。」
出典:プラたか.net より。<http://p-takanawa.net/history/history-7> (参照:2021.10.15)
なるほど。江戸時代の地図がなかなかみつからなかったので確認できていないが、お屋敷の池を避けた名残で複雑に曲がりくねっているというのは納得だ。
前述した通り、乃木坂がかつて幽霊坂と呼ばれていたのは、「幽霊が出そうなほど人が少なかったから」とされているが、この高輪の幽霊坂にはそんな様子は見受けられなかった。おそらく地元民であろう方々が急勾配に自転車で挑んでいた。もし実際に幽霊坂46が誕生したならば、多少のメンヘラ路線に走りそうな気もする。グループ名とのギャップ萌えとやらを狙えそうな気もするが…笑
おわりに
今回は前後編にわたってかなり長くなってしまった。坂道アイドルに疎かった私だが、そこらへんのファンたちよりは詳しくなったはずだ”坂道”に。
これは個人の見解だが、坂の名前をアイドルグループ名に使用した秋元康は天才だろう。
「坂」という一単語だけで我々は脳内に「傾斜」を簡単にイメージすることができる。
秋元康はアイドルの成長の様を、この傾斜を登ることに形容したのではないだろうか。辛くても、きつい傾斜でも、足をすすめれば確実に高いところにいける。進めば必ず今よりも高いところに登れる。「アイドルの成長」というアイドルファン達にとってのアイドルの醍醐味を、坂というものを使って間接的に表現しているのではなかろうか。
そして何より港区の坂というのがまたよく考えられている。日本の経済、政治、文化の中心である東京。そんな東京の一等地であり、東京のシンボルとも言える港区。港区は多くの日本人にとっての勝者の街であると同時に、憧れの街でもある。「都会的」という言葉の具体例がまさにこれだ。
そんな「港区の坂」を言い換えるならば「超都会的で日本人みんなから注目される、人々の憧れる”勝者”になるまでの険しい道のり」とでも言えようか。
何をもって”勝者”なのかという議論はさておき、秋元康がここまで考えてグループ名を付けているのならば、東京が廃れない限りは次期坂道アイドルの名前も、港区の坂に関連するものに違いないと言ってもいいかもしれない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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